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2022.03.03
総合栄養食とは?世界初の総合栄養食と猫の食事の歴史
今では多くの方が猫に与えている総合栄養食キャットフード。種類も豊富で、猫の好みや体調に合わせてフードを選ぶことも楽しみの一つになっています。
でも、何気なく選んでいる総合栄養食ですが、どれくらい前から使用されるようになったのでしょうか?
猫の健康とキャットフードについて調べてみると、技術の進歩やライフスタイルの変化、時代ごとの猫と家族の関係性も見えてきました。
気になる猫の総合栄養食の歴史をご紹介します。
総合栄養食キャットフードとは?
総合栄養食とは、水を除く猫が必要とする栄養を十分に含み、給与量の目安の量と水を与えることで、健康的に過ごすことができるキャットフードです。総合栄養食には明確な栄養基準が存在していて、〇%以上/以下という形でそれぞれの栄養項目に対して評価が行われます。
日本国内で手に取ることができる総合栄養食は、AAFCO(米国飼料検査官協会)の栄養基準、あるいはFEDIAF(欧州ペットフード工業連合会)の基準を満たしたものです。
AAFCOとFEDIAFの栄養基準には微妙な違いはありますが、いずれも総合栄養食としての基準を満たしているものとされています。
アメリカ大陸や日本などで製造されたキャットフードはAAFCOの栄養基準を、ヨーロッパで製造されたフードはFEDIAFの栄養基準をもとに作られることがほとんどです。
■総合栄養食の基準とは?
猫の総合栄養食の基準は、各種猫の必須アミノ酸や脂肪酸、ミネラル、ビタミン類などそれぞれの項目で定められています。
栄養基準は猫が健康的に暮らすことができる量であり、基準量を満たしてさえいれば問題はありません。例えば、猫の健康のお悩みに役立てるため、特定の栄養に限り栄養基準値より多く含んでいるフードもあります。
犬用の総合栄養食との最大の違いは、必須項目にタウリンと脂肪酸のアラキドン酸の最低量が定められていることです。猫にとってタウリンとアラキドン酸は食事から取り入れる必要がある必須栄養素となっています。
以下にAAFCOで定められている猫用総合栄養食の基準をご紹介していますが、これだけ多くの栄養基準をすべて満たす食事を手作りで作ろうとすると非常に難しいことが分かります。原材料を吟味し、栄養バランスを微妙に調整するという根気のいる作業が必要になります。
美味しくて、安全な総合栄養食のキャットフードを作るというのは非常に骨の折れる作業なのです。
ざっくり紹介!キャットフードの歴史
■キャットフード(ドライフードの歴史)
ペットフードの歴史は古く、1860年代のイギリス人、ジェームス・スプラットという人物が犬用のビスケットを製造したことが最初といわれています。これがのちのドライフードに繋がるフードの先駆けとなります。
日本は幕末の動乱真っただ中な一方、イギリスではドライフードのご先祖にあたるものの製造が始まっていたというのですから驚きです。
このビスケットは大人気で、1900年代に入る頃にはキャットフードの原型となるものがアメリカ国内でも製造されるようになっていたそうです。20世紀に入るとさらにその人気は高まり、この頃には缶詰タイプのキャットフード(ドッグフードも)もたくさん製造されるようになります。
アメリカの猫は戦前からドライフードとウェットフード、どちらも食べていたということになります。
しかしその後、第二次世界大戦中は缶詰を作るための金属が不足したこともあり、保存も容易で金属製の容器が必要ないドライフードの生産が中心となっていきました。
戦争が終わり、1950年代にドライフード製造の現場に大きな革命が起こります。
「エクストルーダー」の登場です。
エクストルーダーとは、材料を混ぜ合わせ、水分量の調整、材料の過熱・加圧、成型という一連の工程を自動で行うことができる機械です。現在も進化を続けながら、ドライフードの製造に使用されています。
エクストルーダーの登場により、生産効率が飛躍的にアップし、ドライフードの価格も下がり多くの人々にとって身近なものとなっていったようです。
それまでのドライタイプのキャットフードはビスケットのように手作業でオーブンで焼く手間のかかったものも多く、価格も手が出しにくいものもあったようです。それがエクストルーダーの登場により、製造にかかる時間が短くなり、価格も徐々に下がっていき、一気に広がっていったのですから、キャットフードが普及していく過程で、技術の進歩が大きな役割を果たしていたんですね。
■日本の猫たちの食生活
ここまでご紹介してきたのは、主にイギリスとアメリカでのキャットフードの歴史です。では、私たちの暮らす日本ではどのような食事を猫に与えていたのでしょうか?
実は、日本はキャットフードの技術などにおいて大きくアメリカに後れを取っていて、1969年に缶詰タイプのウェットフードが、1972年になってようやく日本初となるドライフードタイプのキャットフードが販売されました。
缶詰タイプのウェットフードは、アメリカでは1900年代にはもうすでに販売されていましたから、約70年の遅れがあったことになります。
これだけ日本でキャットフードの発売までに時間がかかった背景には、家の中と外を自由に行き来する猫が多かったり、食事も人の食事の残りものを中心に与えるなど猫の生活スタイルや、食事が欧米とは大きく異なっていたことも関係していると思われます。
キャットフードが日本に登場する以前の猫たちは、焼いた魚とごはん、という食事やいわゆる猫まんま(かつおぶしごはん)などを食べていたといわれていますが、それだけではありません。昭和の頃まで猫はネズミや害虫を捕獲するという重要な任務を持っていましたから、自然な食事に近いフレッシュな獲物を食べて栄養を摂取していた可能性もあります。
日本で猫用ウェットフード、ドライフードと立て続けに登場しましたが、当時はドライフードよりもウェットフードの方が人気が高く、缶詰と白米、という食事を食べていた猫が多かったそうです。
また、当時は猫の必須栄養素などを考える人も少なかったため、栄養の偏りがおきて今ではあまり見られなくなった「黄色脂肪症(イエローファット)」などの病気にかかる猫も多かったといわれています。
総合栄養食のキャットフードが普及したことで、食事の栄養バランスの崩れが原因で起こる病気は大きく減り、猫の寿命も延びたといわれています。
世界初、猫の総合栄養食の基準の誕生と現在まで
現在では、AAFCO、FEDIAFがキャットフードの栄養基準を定める団体として有名ですが、実は世界で最初に「総合栄養食」の基準を設定したのはAAFCOでもFEDIAFでもありません。
世界で最初に犬や猫の栄養基準を設定したのは、NRCという機関です。NRCは、アメリカの国立調査部門であり、さまざまな分野における科学技術の調査を行っています。
NRCが調査に乗り出した背景には、この頃のアメリカではさまざまなキャットフード・ドッグフードのメーカーが「わが社のフードだけを与えていれば健康になります!」という大規模なプロモーションを競争のように行っていたことがあります。
キャットフードやドッグフードの栄養バランスに科学的に裏付けられた基準はなく、勝手に「これだけ与えればOK」と名乗っているフードが横行していたのです。
当然、その宣伝を信じて多くの人々はそのフードと水だけを与えるようになりましたが、この頃から栄養のバランスが大きく崩れた食事を続けたことが原因で起こる猫や犬の病気が増えていきました。
この状況を受けて、明確なルールを作るためにNRCが猫や犬の必須栄養素の基準値を調べ、世界的な指針となる「犬の栄養基準」が1974年に、また「猫の栄養基準」が1978年に発表されました。
当時のNRCはペットフード協会に助成を受けていましたが、1984年に改編された際にフードの正当性のために使用しないよう声明を出したため、アメリカにおける栄養基準の調査はAAFCOが引き継ぐ形となり、現在に至っています。ちなみに、現在AAFCOには猫の栄養基準を検討する部門と犬の栄養基準を検討する部門がそれぞれ専門家によって独立して作られているそうです。
猫の栄養基準は猫の専門知識を持つ研究者が定めている、というのはちょっと安心ですね。
おわりに
今回はキャットフードの歴史と総合栄養食についてご紹介しました。
今では明確な栄養基準が存在するため、メーカーが根拠もなしに「これだけ与えていれば健康でいられます」というようなフードが横行することはありません。ただ、キャットフードに関する情報はセールストーク的に過剰に良いものに見せるようなものもあるので、注意して確認する必要があります。
現在も総合栄養食に限らず、キャットフードの研究は続けられていて、さまざまなタイプのフードや食事のスタイルが登場してきました。
今後、さらに猫の健康や食事への研究が進み、技術の革新が起これば総合栄養食というものも過去のものになっていく日がやって来るのかもしれません。